- 2019/05/20 プレスリリース 沖縄はなぜ鉄筋コンクリート住宅が多いのか
沖縄県民と鉄筋コンクリートの関係
県外から初めて沖縄に来た方々が驚かれる事の一つに、住宅の違いがあります。
県外では木造住宅が主流ですが、沖縄県では鉄筋コンクリート住宅(RC造:Reinforced-Concreteの略)が主流となっています。
総務省統計局が2015年2月26日に公表した沖縄県の戸数と種別によると、
鉄筋コンクリート住宅(鉄骨鉄筋コンクリート(SRC造)・鉄骨造(S造)を含む)が49万7900棟となり、
木造住宅(防火木造を含む)は2万4400棟となります(その他5,000棟)。
割合にすると、なんと鉄筋コンクリートが94%で木造が5%となり(その他1%)
県内の鉄筋コンクリートの普及率が突出して進んでいる事が分かると思います。
赤瓦から鉄筋コンクリートまでの歴史
沖縄の住宅イメージといえば木造赤瓦の屋根にシーサーが想像されると思いますが、
現在はその様な木造民家はほとんど見受けられなくなっています。
その理由として、時は70年前の第二次世界大戦までさかのぼります。
沖縄は先の大戦で壊滅的な被害を受け、元あった多くの木造住宅だけでなく山林が消失してしまい、木材が簡単に手に入りにくくなりました。
その時に米軍から無償提供されたのが『規格住宅(工場でフレームを作り、現地でテント・梱包材・茅などで仕上げたもの)』というもので、
家を失った県民たちはそこに移り住みました。
それにより、昔は『ユイマール(沖縄方言で、ユイ(結い、協働)+マール(順番)の意味で順番に労力交換を行なう事。
1人で出来ないような事を持ちまわり制などで行う相互扶助のシステム)』によって建築されていた木造民家や技術が、
材料不足や規格住宅の登場によりに失われていきました。
1948年に米軍基地内で初めてコンクリートブロックが建てられ、1958年には基地外にも建築されるようになり、
コンクリート技術が沖縄の建築業界に浸透していきました。
戦後も木造住宅を建てる方もいたのですが、1949年のグロリア台風により多くの木造住宅が倒壊したため、
台風が非木造化の流れを加速させる大きな要因の一つにもなりました。
このように木造赤瓦住宅から現在の鉄筋コンクリート住宅に変わっていった背景には、
戦争による木材の不足とアメリカ統治と台風による災害が大きく関わっていました。
台風や災害に対するメリット・デメリット
縄での生活に台風は絶対に避けられないものです。(※参照:沖縄の台風豆知識)
沖縄県民が台風に慣れているとはいっても、沖縄地方に上陸する台風は本州に上陸する時よりも勢いが衰えることなく到来します。
しかしどんなに強い台風が来ても人的被害が少ない理由の一つに、RC住宅で生活している事が挙げられます。
耐震性などに優れているRC住宅は、雨水の浸水、地盤の緩みによる土砂災害等の警戒や避難警報が出ない限りは家にいる方が一番安全です。
また東日本大震災などの大災害でもRC造が優れている事が証明されました。(参照:『日本経済新聞』2011年4月7日)
このように沖縄戦から始まった沖縄の鉄筋コンクリート文化は、沖縄の歴史的・風土的に見ても、切っても切れない最良の工法であると言えます。